自分の意見を持たない方が、人生なんて上手くいくんだよ。
なんも分かってないくせに、悟ったような顔で逃げ続けてきた僕が、
「安心して等身大の自分を伝えられる人を増やしたい。」
そんな壮大すぎる夢を持つようになった、半生を綴っています。
読み終える頃にはきっと、あなたも何か挑戦したくなる事でしょう。
5分だけお時間いただけないでしょうか!
①「自分」が不在の25年間。
岡山県の片田舎に生まれ育ち、貧乏でも裕福でもない普通の家庭。
幼稚園時代から友達も多く、担任の先生からの評価はいつも上々。
今思うと、この頃から他人の目を意識し続け、外面の良い子供でした。
父親が野球が好きで、その影響で兄、姉ともにスポーツ少年団に入っていたため、言われるがまま野球を始めたのは小2の頃です。(その後、大学生まで続けます。)
そういえば、サッカーやピアノ、スキーもやりたかったけど、お前は野球だ!と父親に言われ、僕は自分の考えを持つ間もなく。(野球も好きだったんですけどね。)
あれ、今振り返ってみると、もうこの頃から、自分に無関心で無頓着だったのかもしれないです。笑
自分を下に置いて、他人の意見に流され続ける25年間は音も立てず、静かに始まりました。
②無関心でいるのが美徳。
それでも僕は、父親を嫌いになるとか、自分がコントロールされてるとか、そんな想いには一度もなりませんでした。
(今思うと、あまりに鈍感というか頭が悪いんですかね。笑)
むしろ一級建築士としてバリバリ働き、休日は監督業を行う父親に尊敬の念すら抱いてました。
地元でも強豪のクラブチームに入団した僕は、自分と周囲のレベル差に打ちひしがれます。
小学校の頃はセンスが光り、重宝されていたのに、体格差もあってか、非常に苦戦する日々。
ただ、負けず嫌いで目立ちたがり屋なので、ひたすら練習に打ち込む日々。
めちゃくちゃ礼儀作法に厳しく、苦行のような練習ばかりのチームでしたが、そこも徹底して守り、喰らいつきました。
その甲斐あってか、中3の時に副キャプテンに大抜擢。
『技術面と人間性の著しい成長』これが評価されたとのこと。
今振り返ると、ここでも自分の意見や本音などは、ほぼ排除。
ひたすらチームに溶け込み、チームが大切にしている事を最優先。
無意識でこう考えてたんだと思います。
「自分の意見なんて持たない方が幸せだし、評価されるんだ」と。
ますます僕は、自分を下に置き、自分に無関心でいる事を美徳としていくのです。
③え、顔面神経痛?!
自分に無関心でも、ネガティブになる事は全くと言っていいほどありませんでした。
むしろ、頑張って努力してる自分に酔ってすらいました。
(うーん、頭が悪いんでしょうか。笑)
入学したのは志望校からレベルを落とした、妥協した高校。
もうその時点で、入学当初からやる気は落ちまくり。
今思うと、高校時代から「堕落」が始まっていきます。
宿題はほぼ3年間やらず、授業中も寝るだけ。
それでも野球だけは変わらず、精を出し続けてました。
どんどん落ちていく学力。
広く浅く、当たり障りのない人間関係。
恋愛とか彼女とか浮ついた話も全くない。
兄と姉は優秀だったので、劣等感がどんどん強くなり、
母親は目が合ったら「勉強しろ!」しか言ってこない。
そんなある日、何の前触れもなく「顔面神経痛」になりました。
顔が、表情が、全く動かせない。
医者からは「過度のストレス」と言われましたが、
何のストレスも感じてなかった僕は、そんなわけないだろ〜!
と、母親と苦笑い。
振り返ると、ストレスを感じてる事にすら気付いてなくて。
(やっぱり頭が。笑)
どこまでも自分に無関心すぎて、唖然とします。
④成功体験の成れの果て
大学は志望校に合格したのです!
両親も担任も全員が無理だと反対したものを押し切って、見事合格!!
やればできるだろ!!どんなもんだ!!もちろんドヤ顔でしたよ。笑
他県の街へ出て、一人暮らしをする僕は、ものすごく解放的な日々を過ごします。
しかし、この成功体験により僕は勘違いを引き起こし、
ある事件を起こしてしまいます。
当時、1年生の後半から授業はほとんど出席せず、
まあ、なんとかなるだろ!!と、
バイトと野球と麻雀にのめり込む、自堕落な日々。
3年生の時、卒業できるかどうかの大事な試験で、
魔がさしてしまいます。
カンニングです。持ち込んではイケナイ資料を
試験に持ち込んでいました。
それが見事に試験官にバレ、留年が決定。
両親には調子よく、上手くいってるよ!
と伝えていた為、留年が発覚した僕に父親は激怒。
大学入試の成功体験で、どうやら天狗となってたようです。
この出来事で自分への無関心にプラスして、自己否定に拍車をかけます。
⑤自分の意見が無いから、上手くいくんだって。
5年生からは猛省し、ほぼ毎日大学へ行き、
教授に覚えてもらうために、講義ごとに服装を変え
常に1番前で話を聞く。
その甲斐あって、なんとか5年生で卒業!!
ほら、やっぱりやればできる!!!の念がまたまた強固に。
これは後に、僕の人生に大きな汚点を残すこととなります。
就職は両親の強い希望もあり、
岡山に戻って、商社への入社が決まりました。
(商社ってカッコ良さそうじゃない?!という安易な理由。やっぱり頭が。笑)
とりあえず、上司からの評価は良かったです。
野球で鍛えた礼儀正しさと、真面目さは、やはりどこにいってもウケがいい。
ただただ、会社の言う通りに、上司の言う通りに、早朝から夜遅くまで働く日々。
思えば学生時代からずっと、
自分の意見なんて無いし、何も主張しなかったから
上々の評価で、今までやってこれた。
だって、僕ですら自分に興味ないんだから。
世界中どこ探したって、僕に興味がある人なんて、いないでしょ。
そんなに好きでもない上司を適当に褒めて、
自分を押し込めて、取り繕い続ける日々。
人生を渡っていく方法なんて、それしか知らなかったから。
⑥人生最大の汚点
入社からちょうど1年ほど経った時、
ある重大なプロジェクトのプレゼン作りを任されました。
処世術だけは長けてたので、
「山本なら大丈夫だろう!」上司からの厚い信頼。
本当はどうしたら良いのか、
もっと頼って相談したかったけれど
自分を出してしまうと、たちまち嫌われる。信頼を損なう。
会社で居場所なんて無くなってしまう。
自力でやらねば。
まあけど、大学受験と卒業も、なんとかなってきた。
今回も大丈夫だろう。
そう、たかをくくってました。
しかし、日々の業務の傍らで
難易度の高いプレゼン作成は、かなり難航。
本番5日を切っても、
まだ1割もできていない状況に憔悴。
けど、上司には「大丈夫です!任せてください!」
カッコつけ続ける自分。
本番2日前になっても
未だ完成せず、どうしたって間に合わない状況。
そんな危機せまる早朝、出勤途中の車内で、
狼狽した僕は意識を失ってました。
重度の過労と緊張と、重くのしかかる責任に、
意識が飛んでしまったようです。
気付くと、車はガードレールに激突し、
事故を起こしてしまいました。
⑦無関心理論の限界と崩壊
幸い、命に別状はなかったものの、
負傷して病院に搬送され、
プレゼンはそのまま流れてしまい、
ただただ僕は、謝罪に謝罪を重ねました。
そこからと言うもの、
急激に職場で肩身が狭い思いをしたことを
今でも鮮烈に覚えています。
なんで。
自分の意見なんて何も持たず、
ただただ周りに合わせて、礼儀正しくいれば
上手くやれるんじゃなかったの?!
それでもこんなに苦しい思いをするって、
どうすればいいの?!?!?
25年間の人生が丸ごと
全否定されたような、途方もない暗闇の中にいました。
(今思うと、自分の事も他人の事も、あまりに軽く見過ぎていた。
正真正銘のどうしようもない、大馬鹿者です。
そりゃ、人を軽く見る人間は、必ずどこかで行き詰まるよな。)
失意のどん底で過ごす僕は、初めて人生に絶望しました。
⑧絶望からの大逆転
退職を考えるものの、そんな勇気も熱意もなく、
死んだ魚の目で、とにかく職場の人間関係に怯えながら
毎日を必死でこなしていく日々。
そんなある日、高校時代の同級生の勧めで、
脱毛に通い始めることにしたんです。
全く興味がない分野でしたが、
同級生の勧めだったし
なんかもう、完全に自分を見失っていた時だったので、
ちょっともう投げやり状態。笑
(まさかそこで働くことになろうとは。)
脱毛を通して、確かに、見た目が整っていく。
細かいところまで目線が行き届くようになり、清潔感が増していく。
この経験は、思っていた以上に、僕に自信を芽生えさせました。
やればやるほど、見に見えた成果が出ていくのも楽しい。
けれどもそれ以上に度肝を撃ち抜かれたのは、
その脱毛サロン、つまり僕が今在籍するOCEANSのオーナーと
お会いした時でした。
⑨夢
仕事を通して人間力を高め続ける。
お互いの意見をぶつけ合える生涯の仲間と出会う。
経営のノウハウを惜しみなく伝えてくれる。
会社の飛躍と展開に、120%携われる。
とにかく、オーナーの話に夢中で、
オーナーの人柄に魅了されまくり。
意識を失うほどに没入して、話はほとんど覚えてないほど。
(意識失いがちです。笑)
OCEANSに惹かれまくった僕は、
その翌日に今いる会社へ退職の意を伝えました。
(そうです。行動が極端すぎて、やはり頭悪めです。笑)
あれだけ気にしてた両親や上司の目が、全く気にならなくて。
今まであまりに自分に無関心で、
何の意見も持たずに生きてきた僕は、
自分を本気で生きていいんだ。
自分を下に置かなくていいんだ。
初めて心から自分を
尊重してくれ、意見を伝えられる環境に飛び込む事に、
文字通り、狂喜乱舞してました。
と同時に、「安心して等身大の自分を伝えられる人を増やしたい。」
これは、25年間自分の本音をひた隠しにし、
自分に無関心でい続けた僕だからこそ、伝えれるテーマ。
目で見て自分の変化を体感できる、脱毛というツールを通し、
少しでも自分に関心を持ち、秘めたる無限の可能性に気付いて欲しい。
それを伝える生き証人として、
僕はOCEANSでお客様に、脱毛と自己表現の素晴らしさを
広め続けていく。
(ここだけの話、脱毛してから女性から声を掛けられることが増えました。笑)
⑩まさかの東京進出
そして2023年6月より、
関西から六本木店へ心機一転
着任する運びとなりました。
ここまでアツく語ってきて
なんなのですが、、、、、
この期に及んで
OCEANSでも、ずーっとずーっとカッコつけてました。
そんなんだから
売上も上がらず、同僚たちにも勝手に壁を感じて。
本当にどうしようもなく、サラリーマン時代の二の舞を踏んでました。
本当にどうしようもない男。
前職時代から口だけで
全く成長していない自分を、心の底から嫌悪する日々。
けれど、そんな僕にすら手を差し伸べてくれたのは、
以前からお世話になっているOCEANSの幹部の方々。
こんな不甲斐ない自分のことを
親身になって考えてくれ、もう一度東京という
最高の場所でチャンスを頂いた訳です。
と言うことで、並々ならぬ想いで、今回、上京させて頂きます。
このチャンスを、必ず活かしていく。
これからお逢いできる、未来のお客様に胸を躍らせながら、
僕のプロフィールとさせて頂きます。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます!!!
(みなさん、5分で読めましたかね。笑)
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